新里陽一《帝王切開》1973年

 
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新里陽一《帝王切開》1973年 事務用品、レディメイド ©新里陽一 撮影|四宮裕滋

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日本美術サウンドアーカイヴ──新里陽一《帝王切開》1973年 ©新里陽一、日本美術サウンドアーカイヴ 撮影|藤島亮

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日本美術サウンドアーカイヴ──新里陽一《帝王切開》1973年 ©新里陽一、日本美術サウンドアーカイヴ 撮影|藤島亮
 

新里陽一は《帝王切開》の展示を搬出したあとの田村画廊に机を置き、上に一輪のバラを生けたコップやカセットテープレコーダーを載せた。レコーダーはまず、遠くから聞こえるエルヴィス・プレスリーの曲を流した。しばらくすると鋭い金属的な持続音が歌をかき消した。新里が鉄骨にドリルで穴を開ける音だ。エルヴィスとドリルの共演は120分テープが終わるまで続いた。これが《帝王切開》の最終部「研究発表」だった。
 
《帝王切開》は画廊での展示と、それに先立つ6つの「RESEARCH」と呼ばれる行為、展示中の2つの「RESEARCH」、そして「研究発表」からなる。画廊には机、医療器具戸棚、リーダーズ・ダイジェストのテープレコーダー、鉄製のアングルからなる直方体の枠組などが並ぶ。この鉄骨に穴を開ける行為が「RESEARCH 15」である。机や棚には多くの小さなガラス容器やそれまでの「RESEARCH」の記録を収めたファイルなどがある。画廊の入口にはタイムレコーダーが置かれ、その横の壁に架けられた黒板には予定表が貼られている。新里は展示期間中、毎日画廊を訪れてタイムレコーダーを押し、予定表に書かれた行為を実行する。

 
 
 
 
日本美術サウンドアーカイヴ──新里陽一《帝王切開》1973年

2019年7月21日 3331 Arts Chiyoda B105

展示資料
新里陽一《帝王切開》(1973年)
新里陽一《歯痛》(1973年)
新里陽一《イヴェント 藤沢飛行場》(1973年)

テキスト|新里陽一/金子智太郎
トーク|新里陽一/谷新/金子智太郎
写真撮影|藤島亮
リーフレットデザイン|川村格夫


リーフレット
新里陽一「帝王切開 一九七三年三月十二日−十八日」1982年
金子智太郎「行為に寄り添う音──新里陽一《帝王切開》」2019年


カセットエディション
Yoichi Niisato, THE CAESAREAN OPERATION [excerpt], 1973

 
 
 
 
新里陽一 略歴

1949 岩手県に生まれる
1973 日本大学芸術学部美術学科卒業

主な個展(1970~1980年代)
1973「THE CAESAREAN OPERATION《帝王切開》」田村画廊/東京
「《歯痛》」ギン画廊/東京
「《歯痛(2)雨は地下鉄へと流れ始めた》」ときわ画廊/東京
「窒息または静かな生活」サトウ画廊/東京
1974「挿話Ⅰ」ときわ画廊/東京
1975「SERENADE」ときわ画廊/東京
「セレナーデ SERENADE」真木画廊/東京
1976「SERENADE」ときわ画廊/東京
「セレナーデ SERENADE 杉の木の裏側まで行けば、幼少の頃の歯痛を思い出すだろう。」田村画廊/東京
1977「静かな生活より「静物、ドラマのような微笑」考 奥様!コーンスープをどうぞ。」ギャラリー射手座/京都
1978「落下傘」真木画廊/東京
1979「落下傘」ときわ画廊/東京
1981「YELLOW DOG BLUES」ギャラリー彩園子/岩手
1981「Women’s Blues」ときわ画廊/東京
1982「新里陽一、ドローイング・ショウ」ギャルリーラランヌ/東京
1983「新里陽一、マンスリーショウ -T.N.に捧げる-「やさしく、悲しみに沈む牛」」2人称・画廊/東京
1984「ドローイング&インスタレーション」ギャルリーラランヌ/東京
1987「牡牛シリーズ(又はLAST EMERGENCY)」藍画廊/東京
1988「牡牛の、つづき物語Ⅳ「感触」」ときわ画廊/東京
1988「牡牛の、つづき物語Ⅵ「感触」」ATRIUM/東京
1989「final 牡牛の、つづき物語「感触」」真木画廊/東京

主なグループ展(1970~1980年代)
1972「娼婦の館」(太田正明氏「化性に因る」との2人展)ときわ画廊/東京
1973「L’EXILÉ・追放者. Ⅱ.」ミヤマ画廊/東京
1982「発現・おのずからみずから展」藤沢市民ギャラリー/神奈川
「発展・成生のアイテム」神奈川県立県民ギャラリー/神奈川
1985「空間 – 遊」N-1 GALLERY WEST/愛知
1988「欲望の海をわたる絵画」かわさき駅前市民ギャラリー/神奈川
1989「「未在」89展」世田谷美術館/東京

 
 

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