リーフレット 7-1


たとえば、眼と耳について•1

今井祝雄

「日本美術サウンドアーカイヴ──今井祝雄《TWO HEARTBEATS OF MINE》1976年」リーフレット、2019年、1-2頁。



今とりたてて書きたいこと、書かなければならないことがあるわけではないが、時には自分の関心ごとや、制作の方法などについて記してみることは、現在の自分の考えを明確にする意味で良いことかも知れない•2。

もう随分以前のことである。その頃、僕はいわゆる“実験映画”なるものに凝り始めて、当然の成り行きで自分でも創ることになった。十六ミリのフィルムの一コマ一コマにパンチで穴をあけていく………一種のアニメーションである•3。そして、そのフィルムのサウンドの一部にパチンコの音をと、テープレコーダーを片手にパチンコ屋へ出掛けた。めったに行くことのないパチンコ屋であるが、この時ばかりはその五十センチ程の巾の機械と向き合うことになった。横でテープを回しながら………。そして録り終ったテープを家で聴いてみたらどうだろう。がなりたてるようなひどい音の、都はるみが飛び出したのである。肝心のパチンコの音はといえば、唄の隙間にはさまれたようなわずかな音で、およそ“チン、ジャラー”というあの痛快な響きではない。激しく打ちつけるトタン屋根の雨の音とでも言おうか、或は工場の無機的な機械音がそれなのであった。結局パチンコの音はやめにしたが、これは何もテープレコーダーと録音技術の悪さ故ではない。

もう一つ、音に関してこんなこともあった。これはつい最近で、喫茶店で知人を待っていた時のことである。駅の中にあるだだっ広いこのお店は、いつも満員な上、様々な人達が出たり入ったりしていて、そのざわめきと、コップや皿の触れ合う音などで実に騒然たるものであった。早く来た僕は、店内に流されている有線放送を聴いていた。俗っぽい流行歌の中で、「海援隊」という奇妙な名前のグループが唄う、これ又奇妙にセリフ(語り)の方が長いような曲であった。ところがフォーク調のその唄が、途中で長い語りの部分になるや否や、フッと店内の雑音にかき消されて聞こえなくなってしまうのである。そして又、忘れた頃にその続きが始まり出す。つまり、語りが終り再び唄の後半に戻った途端、その曲が終わったのではなく、まだ続いていたことに気付くのだ。ざわめきにかき消されたその合間は、実に間の抜けた、居心地の悪い時間であった。忘れ去られた時間のようであった。

何故こんな些細な経験を引っぱり出したかといえば、僕はここで日常空間の中における、僕たちの感覚と意識について考えてみたいからである•4。とりわけ僕たちの耳や音を聴くことについて、さらに聴覚と意識についての好例ではあるだろう•5。よく「耳を傾ける」という。僕たちの身体の一部、一機能としての耳は、あらゆる音の混り合ったその中から、僕たちが聴きたい音や必要とする音を聴きわけて、その音だけを聴きとることができる。言い換えれば、幾つかの対象の中から一つの対象を選択し、尚それを拾い出すことが可能なのである。あの喫茶店での僕は、唄に意識を集中させていたので、人々の会話や食器の音は聴こえなかった。いや聴こうとしなかったのだろう。そして唄が語りの部分に移った途端、その語りは人々の会話と同化してしまったのであろう。パチンコ屋においても同様である。僕はパチンコの音を必要としていた。録音するので半ば意識過剰気味であったかも知れない。だから都はるみは聴こえなかったし、僕にとってはその時、パチンコの音以外は存在しなかったと言えるだろう。ついでに、人間の耳に対して、マイクとアンプとスピーカーを併せ持ったテープレコーダーは、単なる物理的な音しか記録し得ないメカニズムであると言える。だが同時に、全く均一に、わけへだてなく音を収録する客観性をもった人工の耳(マイク)とも言えるだろう。

リズムのあると不確定な雑音・・。いま大ざっぱに分別したこの二つの音が、全く異質なものであったこと………。前者に当たる喫茶店のBGMは、仮に客のざわめきで聴こえないような低い音量であれば何の意味もないし、逆に飛び抜けて高いボリュームや耳ざわりな音であってもならないだろう。リズムを持った“音楽”は、明らかに雑音とは異質な音である。だからこそ聴きとることができたのだ。そして聴こえなくなった語りは、人々の会話と同質音である為に、その中に同化し沈み込んでしまったのである。このように僕たちの耳は、意識すること、つまり知覚作用によって決定されると言わなければならない。

ではにおいてはどうだろう。無論このことは耳のみに限らない。視覚についても同じことが言えるだろう。テープレコーダーに代わってはカメラが登場する。このカメラを使って、僕はここしばらく写真を媒体とした作品を試みているが、その仕事の中から、視ること及び視覚と知覚について考えてみようと思う。例えば次のような方法からなる写真がある。一つは、可成り広い長方形の画廊の、長辺である壁の手前にカメラを設置して、零度から百八十度までを、十度づつ「角度」を移しながらシャッターを切っていった。それと、一方のガラス貼りの壁面へ、一メートルづつ「距離」を近付けながら撮ったもの。さらにその反対側の壁にあるガラス窓を中心にして、七箇所の「位置」から撮影したもの。これらは昨年の個展に行なったものだが、レンズは“標準”を使用し、すべてカメラの高さは眼の高さとした。「角度」では、標準レンズの画角が約四十六度であるので、対象が移動しながらも重複していて、入口のドアが数枚の写真にズレつつ写っていたりする。「位置」では窓の外景が多分に遠景であることから、わずかの視点のズレでも著しく風景が移動し、変容してしまうのである。又、「視界」は今年に入って試みたもので、或る窓ガラスの手前から、ガラス越しに視える外景を、カラーのポジフィルムで撮影する。現像されたその一コマのフィルムを、同じ窓ガラスの同じ位置(撮影位置)にテープで止める。ガラスに貼られたフィルムの映像は、そのフィルムとガラスの向こう側の現実の風景と重なり合うことになる。ところでこの場合、フィルムの映像を視ている時は、現実の風景を視ることはできない。逆に現実の風景に眼をやるなら、フィルムの風景(映像)は視え得ない•6。つまり、虚像であるフィルムの風景と、実像である現実の風景を同時に視ることは不可能であることに気付く。もっとも無理して同時に視るとしても、明確な像を得る為には焦点(ピント)はどちらか一つに合っているし、どちららか一つにしか合わないのである。僕たちの眼は、遠景の風景か、手前のフィルムのどちらかを意識的に、或は無意識に選定し、照準を合わせなければ視え得ないのである。先の耳の例においても、一つはパチンコの音に、さらに喫茶店の唄にそれぞれピントが合っていたのである。又、「角度」、「位置」、「距離」における、視界が極めて無機的に限定されていたこと………。それはフレーム・・・・である。僕たちの視界に限界はあっても、フレームは存在しないのだが、ファインダーを覗く限り、ワク付けられ、切りとられた、フレーム内の像としてしか現われ得ない。風景の写真とは、風景の断片的写真となるのだ。あたかもそれは文章におけるカギ付きの言葉のように、写真でなく「写真」、風景でなく「風景」であるようだ。「絵画」も又言うまでもないだろう。視たもの・・、視えるもの・・を自立させる為には空間を切りとらないことには始末が悪い。その切りとる手だてとしてフレームが現われる。このフレームこそ、写真がどうしようもなく写真であるゆえんなのかも知れない。カメラで視る眼と視える世界()、ファインダーの内と外の関係に注視することは、“視ることを視”、”写すことを写す”ことに他ならない。

もとより僕は音や映像の専門家ではない。本文は、僕の日常の生活や仕事の中で、ごく素朴な視点から、気付き、感じ、考えたことである。余りにも自明のことであるかも知れない。とまれ僕たちの内部である意識領域の視点から、日常感覚を眺め返してみること………。そのことがどんな意味があるのかよりも、先ずは楽しいし、おもしろい•7。


[編者註]
1|本論文は『美術情宣』第3号(1974年)所収の論文、今井祝雄「たとえば、眼と耳について」(12-15頁)の全文である。ただし、明らかな誤記と考えられる箇所には修正を入れ、編者註に記した。この論文は今井祝雄『白からはじまる私の美術ノート』(プレーンセンター、2001年)に修正版が再録された(253-259頁)。
2|原文の「感心」を「関心」とした。
3|原文の「アミメーション」を「アニメーション」とした。
4|原文の「何如」を「何故」とした。
5|原文の「耳や音やを」を「耳や音を」とした。
6|原文の「視れ得ない」を「視え得ない」とした。
7|原文の「先」を「先ず」とした。