名もなき声──和田守弘《認識に於ける方法序説 No.l SELF・MUSICAL》
金子智太郎
会場の床にオープンリールデッキ5台とスピーカー4台が置かれている•3。奥の壁には1枚の小さな黒板がかかる。ここには日付と「ワタシの肉体の所在地」という言葉、和田のいる場所が書かれている。となりに「0+0≒0 0-0≒0 0×0≒0 0÷0≒0 1+1≒1-1≒1 × ≒ ÷ ≒」という数式もある。さらに、壁ごとに1枚ずつ白地の半袖Tシヤツが貼られている。胸には「コレハワタシデス」という言葉がプリントされ、和田はこれを着て会場にいる。
すべてのオープンリールデッキはエンドレステープを再生する。4本から和田の声、1本から交通騒音が聞こえる。声の内容は次のとおり•4。①「これは〜である」という自己言及。「〜」には「言語」「私」「声」などが入る。②「あ あー い いー う うー…」という五十音。左右のスピーカーから同じような内容が大きくずれて聞こえる。③「〜すること」「〜べきだ」「〜せよ」といったインストラクションまたはモットー。④ウィトゲンシュタインの主に写像理論の引用と③の組みあわせ。
《SELF・MUSICAL》は一見、音による和田の自画像のようだ。黒板によると、彼の「肉体」は会場の外にあることもある。だが、彼の声、彼の意識はいつも会場にいる•5。語られた言葉から和田の内面や経歴はほとんど読みとれない。だが、出身地の訛りを残した声の響きは、知人ならすぐに彼のものだとわかる。このような解釈はおおむね妥当だろう。しかし、先のTシャツは15枚用意され、和田以外にも数人が着て会場にいたという事実は、この解釈を混乱させる。
Tシャツを着たのは主に和田が参加していたグループ「鈴木清」のメンバーだった•6。中野区のアパートに暮らす架空の人格とされた「鈴木清」のメンバーには、和田もふくめて東野芳明ゼミ出身者が多かった。その活動は1〜2年間だけだったが、この時期の和田の作品と「鈴木清」としての活動には深い関わりがあるようだ。なぜ《SELF・MUSICAL》に複数の「ワタシ」がいたのか。まず和田と「鈴木清」の関わりをたどろう。
和田守弘と「鈴木清」
《SELF・MUSICAL》以前、和田はいくつかの物質を軸とする作品を発表していた•7。初期の代表作《自然に於ける黙示録》シリーズ(1970-71)は、錆びた銅、セメント、石膏、海水などからなるインスタレーション/オブジェである。「ビデオひろば」による「DO IT YOURSELF KIT」展(1972)に出品した《禅問答》は、水と塩という要素によって世界観を表現するヴィデオ作品•8。海岸が舞台のイベント《媒律拡大作用》(1972)のヴィデオは、インスタレーション《遥かモウビ・ディックの白い巨体を求め》(1972)に組みこまれた。和田はこのイベントで塩水を海にまき、海面に石を投げるなどした。
和田は大学在学中の72年に、詳細はわからないが《SELF・MUSICAL》の原型であろう、テープレコーダー2台を使用する《認識からの方法序説》を学内で発表した•9。個展「認識に於ける方法序説 No.l SELF・MUSICAL」の開催は73年4月。この個展にはそれまで使用してきた物質は見られず、ウィトゲンシュタインの言葉が引用され、70年代半ばから80年代にかけての和田の認識論的探求を予告した。また先に見たとおり、ここには個と集団をめぐる問題もあらわれていた。
同年の「鈴木清 6月3日 多摩川で何をする?」は「鈴木清」が主催した最初のイベントだった•10。二子玉川駅近くの河原を舞台に、和田は自然石、金網、ビニールパイプをもちいてパフォーマンス《コンテクスト No.l・ll・lll》をおこなった。金網やパイプは《自然に於ける黙示録》の素材でもある。
10月、和田は個展「認識からの方法序説 No.lll MR.NOBODY 言葉の中のモニュメント」を開催した•11。展示と同名の作品(以下《MR. NOBODY》)には「鈴木清」のメンバーから、北澤憲昭、佐古純生、高橋義博、中森ひろ子、西川庄一郎、福本重喜、山本秀夫が協力者として参加した。和田と協力者はそれぞれ任意の場所の公衆電話から和田の部屋に電話し、カメラのファインダー越しに見える風景を受信者に伝える。受信者はこの言葉をもとに水彩画を描く。さらに別の者がこの水彩画を言葉にする。こうした作業を写真、録音、ヴィデオによって記録し、水彩画とともに展示する。
この個展の翌週、同じ田村画廊で「鈴木清」の個展「共同主観的存在構造」が開催された•12。8人のメンバーひとりひとりが所有する本を会場に持ちより、共通する本を探すという企画である。集まった大量の本のなかで全員が所有していたのは4冊ほどしかなかった。
個展の否定
74年3月、和田と「鈴木清」は同一会期・会場で個展を開催した•13。和田の個展は「アプリカシオン」、「鈴木清」は再び「共同主観的存在構造」。どちらにもさまざまな共同作業の記録が展示された。和田の作品のひとつは、ひとりの参加者が指定された場所の状況を30分間ヴィデオで収録する。このヴィデオを見た2人目の参加者が、収録された状況とできるだけ近い状況を同時間ヴィデオ収録する。3人目の参加者も同様に行なう。最終的に3つのヴィデオを同時に放映する。各人が地図を描く作業や、メビウスの輪にドローイングをする作業もあった。ひとりが紙のメビウスの輪にセンターラインを描くところを30分間ヴィデオに収録する。2人目はこのヴィデオを見ながら同じ作業を行なう。3人目も同様。
「鈴木清」はチラシに廣松渉の『世界の共同主観的存在構造』(1972)から、音の知覚を例に「前人称的・非人称的」「フェノメナルな世界」のありかたを論じた箇所を引用した。そして、参加者に丸、多角形、「田」のような図形を描かせて比較する作品などを発表した。そして会場に掲示された文章「鈴木清の見解」では、個展という慣習自体が批判された•14。
和田の個展「アプリカシオン」は、自らも属する匿名参加者の集団による個展の否定と共存していた。以降、和田は人間の認知により関心を向け、「鈴木清」の活動は見られなくなる。
和田は同年《アプリカシオン》シリーズを継続した。第11回日本国際美術展に出品された《アプリカシオン No.ll》は、《アプリカシオン》におけるドローイングとヴィデオを組みあわせた作業の展開であろう•16。この作品はドローイングの前にカメラで紙面を端から観察することで、ヴィデオによる認知を強調する。《アプリカシオン No.lV》はル・クレジオの『戦争』(1970、邦訳は1972)の一文を始点とする•17。まず、和田が選択したル・クレジオの一文から受けるイメージを、誰かが写真にする。次に、この文章の二文字ごとに「あ」「い」「う」…を挿入した文章を書き、この文章も別の誰かが写真にする。これらの写真を会場に展示し、和田がヴィデオで収録する。さらに彼は「コレハワタシデス」と書かれたTシャツを着て、会場で先の文章を読む。これだけではない複雑な作品だが、《方法序説》シリーズの要素がいくつもみとめられる。
和田は《アプリカシオン》シリーズに次いで《認知構造》シリーズと《表述》シリーズを開始し、認知と美術の関わりにさらに焦点を合わせた。彼の《SELF・MUSICAL》以降の活動は「鈴木清」と交わりながら、後の仕事を準備していた。
前人称的・非人称的世界の声
これまで見てきた和田と「鈴木清」の活動をふまえ、あらためて《SELF・MUSICAL》について考察したい。谷新はこの作品が「自己を認識する方法論を示そうとしている」とみなし、「自己をどのような水準や切り口であれ、同一だとみなす観点にまず疑問を突きつけている」と考える•18。そして「“コレハワタシデアル”と自らを名指さないかぎりアイデンティティーを保てないほどに崩壊してしまった今日の人間存在の危機を訴えかけている」と解釈する。また、谷はこの作品における自己をめぐる認識論的探求が「鈴木清」による共同主観性の探求に展開していったと述べる。
《SELF・MUSICAL》を和田の認識論的探求における重要な契機とみなし、また「鈴木清」との結びつきに目を向ける谷の議論は、和田の70年代から80年代にかけての活動をたどる上で欠かせないものだ。しかしここでは、先に見たとおり「鈴木清」が個人や集団よりもむしろ、廣松が論じた「前人称的・非人称的」世界を重んじたことに注目したい。
74年の個展チラシに引用された廣松の文章は「フェノメナルな世界は、元来、前人称的・非人称的であることの確認から始めなければならない」という言葉からはじまる•19。廣松はこのことを説明するために、音の知覚を例にあげる。音の知覚は空気の振動や人間の生理的プロセスなどの物的環境にも、言語などの文化的環境にも属すると考えられる。これらの環境はあくまで前人称的・非人称的であり、誰の内面にも属さない。この環境に介在するしかたは私と他者では異なるが、私の介在のしかたは私にとって必ずしも唯一のものではない。このことを説明するために廣松が例にあげたのは、演説に聞き惚れる経験である。演説に没頭したのち、ふとこの演説が演説者の思想であることに気づくとき、「我にかえる」のではなくいわば「他者にかえる」ということがある。この現象は自己意識が人間にとって絶対ではないこと、その基礎にはフェノメナルな世界が広がることを示しているという。
「鈴木清」はこのような世界のありかたを、メンバーのあいだに生じるずれによって表現しようとしたのではないか。そして、和田もまたそうだったと考えられる。谷は《MR. NOBODY》について言語と絵画の差異がひどいと評した。この差異を共同主観性の破綻や個人の特殊性のあらわれではなく、前人称的・非人称的世界を表現するものとして解釈してみたい。やりとりを聞くと、結果の差異は大きくても、伝達の過程はそれなりに論理的である。谷は「アプリカシオン/共同主観的存在構造」展の地図をもちいた作業について「どの建物や街路などを指標化し、案内文や図に高めようか、というのは各人それぞれの生活面の環界に影響されることが多い」と指摘する。通常は意識されにくい「生活面の環界」はフェノメナルな世界そのものではないが、そのありかたをうかがわせる。
《SELF・MUSICAL》の5本のテープは、それぞれが異なる自己のありかたを表現すると理解するには、あまりに前人称的・非人称的である。しかも、テープ②は多重録音であり、③は声の響きが明らかに他と異なる。④には③の言葉がまじり、テープの回転速度が変わる部分もある。そこで、この作品を崩壊した自己の表現とみなすのではなく、そのなかで自己が形成されるような言語的・メディア的環境の表現と考えてみたい。それぞれのテープから言語の多様な働きの違いが聞きとれる。さらに、いわば音響的な違いもある。鑑賞者はこのように異なるテープを別々に聞きこむことも、2つを比較することも、すべてを同時に聞くこともできる。Tシャツを着た「ワタシ」たちはこうした環境のなかにあらわれる。廣松は先の「他者にかえる」という説明をさらに展開する。「合唱していることを対自的に意識する場合など、“ハッと我々にかえる”場合もある」•20
和田は94年のインタビューでこう語った。
「鈴木清」と同一会期・会場の個展を開催した彼は、最後まで無名性の問題にこだわったと自認していた。この問題は認識論的探求にも影響したと考えるのが自然だろう。和田の言葉には、帰ろうにも帰れなかったというニュアンスがある。彼はヴィデオが人間の認知構造に近いと何度も語った•22。和田にとってメディアは無名の前人称的・非人称的主体のモデルなのではないか。