マニフェスト No.1•1
渡辺哲也
だがこうした認識の回路のなかで、はたして眼差はどこまで原語を検証し得たのだろうか。私たちは、対象を空間的に知覚するところから始まって、自らの眼差に対して、どこまで対自的であり得たのであろうか。
私はいま、喫茶店の片隅でこの原稿を書いている。私の網膜には、原稿用紙、鉛筆、それを握っている私の手と、もう一方の手、更には、白いコーヒー茶碗や、ガラスコップ、消しゴム、タバコ、ライター、灰皿、国語辞典、そして飴色をした木製机の表面が映っている。だが、ことさら意識しない限り、私が知覚するのは、鉛筆の先端を中心とした極く限られた部分だけである。
こうした現象は、私たちの日常の眼差には無数にある。私たちがある対象を見つめるとき、極端な光線状態などを除けば、対象を見つめるのに、特に意識的になることはない。また、私たちが特定の対象を見つめているとき、実際の網膜にはそれ以外のさまざまな像が映っているにもかからわず、私たちは特定の対象物以外をほとんど知覚していない。
それは、私たちの視覚を成り立たせている、眼球、視神経、大脳などの諸器官の機能とシステムが、優秀な全自動、フルオートマチックになっているからに他ならない•2。だが一方、この優秀さは、眼球と大脳の回路を直接的で閉じられたものとしており、私たちはそれを自然態としてほとんど疑うこともない。
カメラは眼球の機能を模倣し、その機能に近づこうとして発達してきた。だが幾つかの特殊性を除いて、それは未だあまりにも稚拙な眼球でしかない。だが私たちがこの稚拙な眼球を使用するとき、その稚拙さこそが、私たちの疑うこともなかった視覚の構造にゆさぶりをかけ、私たち自身の日常的な眼差の意味を問い直す武器となる。
私たちがある対象を写そうとしてカメラを据えたとしよう。まず私たちはこの対象に対して無数に獲ることができるフレームのうち、ひとつのフレームを選ばなければならない。次に絞り値は幾つにするか、シャッタースピードはどれ位に、そしてピントをどこに合わせるのかと、実にさまざまな操作が必要となる。このとき、私たちは何を撮影しようとしているのか、つまり何を見つめようとしているのかを問い直されているのだ。日常的な私たちの視覚が、習慣化され自然態としている、フレーム、絞り、ピントなどの問題が、この稚拙な眼球によって意図的な操作の問題として外化されてしまっている。
こうして、カメラのメカニズムは私たちの日常的な視覚の、自らを決して疑うことのない保守性に、クサビを打ち込み、捉え返しの糸口を与える。私たちが日常、あるものをそれとして認めていた視覚作用が、大脳のどのようなインストラクション(指示)による、眼球のいかなる操作によるものかを知ることができる•3。或は、網膜上のどのような映像から、大脳がいかなる意味を読みとっているのかを知ることができる。こうした試みによって、私たちが対象を対象たらしめる眼差ー意識(無意識)的視覚の新たな質を獲得していくことができないだろうか。
映画はほぼ百年の短い歴史のなかで、私たちの眼差の持つ意味を、映画それ自体の文脈へと置きかえて来た。クローズアップを始め、カットバックやオーバーラップ、ハイスピードなど、映画的表現の技法の数々は、私たちの眼差の意味を明らかにしつつ、それへと無限に接近する試みの中から生まれた。だがいま、映画は自らを回顧する危険な自慰行為に耽っているように見える。ここ数年の回顧的な題材や趣味による作品の氾濫、いたずらに水準と完成度のみを上昇させていく技法の乱用、時代の現象の上を無限に横すべりして行くかのようなパロディーとテーマ主義の数々、映画はいま確実にマニエリズムの時代に突入したのではないだろうか。
映画のこうした退廃は、映画が記号を始めさまざまな自らの発展を、私たちの眼差の質と同一視したことによるのではないだろうか。革命的映画の歴史は、今世紀初頭の産業の急速な機械化・大型化、それに伴う政治的社会的な変革などを背景とした、私たちの眼差のレアリティへの接近にあった。だがそうした成果を環境として出発する私たちの映画の戦線は、まず私たちの眼差を疑うことから出発するだろう。自らの眼差を自明なものとして、それを映画の文脈へと転換させていくのではない。私たちの歴史としての映画によって、自らの眼差を問い直し、この保守的な眼差の硬い岩盤に閉じられた現実から、革命の地下水を奔出させることにあるだろう。
編集部から与えられたテーマは、今回の個展作品について語ることだったのだが、結果はちがったものになってしまったようだ。だが私の作品、とりわけ「波」を素材とした16ミリの三部作には、以上のような考えが根底にあったことを告白しておく。映画が持つ「時間」の問題、制作にあたっての「集団」の問題など、私にとって映画を考える上で重要なポイントを占める問題はいくつもあるが、それらに触れられなかったのは残念である。最後に映画制作にあたったさまざまに協力してくれた、スタッフを始め友人、諸先輩に感謝いたします。私たちの映画の戦線はやっと端緒を見い出したにすぎません。でも不遜な私たちは、自らが映画の革命的歴史を引き受ける一兵士だと信じて疑いません。