別物になる音—1970年代における野村仁の「聴覚映像」
金子智太郎
壁には異なる種類の8本の糸がかかっている。そのうちにはピアノ線もある。そこで、この作品は創作弦楽器に見立てることができる。しかし、野村仁は糸のあつかいを「演奏」ではなく「操作」と表現し、糸を記録メディアに見立てて説明する。レコードに音溝があるように、糸の表面にも凹凸がある。レコード針はこれを読みとり、音に変換できる。録音装置はもともと筒状で、後に円盤状になった。ならば、糸状の録音装置はどんな音がするのだろうか、と彼は考えた。
京都市立美術大学で彫刻を学んだ野村は、活動の最初期から写真、フィルム、ヴィデオに加えて、電話、磁気テープ、レコードなどの音響メディアを用いてきた。「第6回 現代の造形〈映像表現 ’73〉」展において、彼は音と関わる作品を「聴覚映像」と呼んだ•2。聴覚映像はこのころから2000年以降まで継続して発表されている。
野村の聴覚映像には大きく3つの作品群がある•3。①日常の会話などをカセットに録音し、レコードにして、さらに台本のかたちに書き起こした「HEARING」シリーズ。この作品群は76年に「「HEARING」についての特別資料室」展にまとめられた。②《音調、強度、時間》や《梵鐘》(1973)、《Disc》(1974)、《発音》(1975)といった、レコードと関わる「HEARING」以外の作品群。③75年に制作がはじまった《‘moon’ score》を起点とする「score」シリーズ•4。79年にレコードとして、後にCDとしても発表されたこのシリーズは大きな注目を集め、野村の代表作のひとつとなった•5。また野村は70年代半ばに、聴覚映像には入らないが、声やレコード、楽器などが重要な役割をはたすヴィデオ作品をいくつも発表した──《Phono Simulation》(1974)、《Rape-Blossoms, Devil-Fish, Iron-y》(1975)、《Single Line, Single Voice》(1978)などである。これらの一部は①に組みこまれた。
本論考は、これまであまり詳細が論じられてこなかった①と②──便宜的に野村の70年代の聴覚映像と呼ぶことにする──の概要を紹介し、これらの作品群に見られる手続きについて検討する。多くの論者が解釈を試みてきた③については、議論を整理して新たな主張をする余裕がなかった。とはいえ、本論考が検討する野村の70年代の聴覚映像が共有する特徴は「score」シリーズにも引きつがれていく。その特徴とは、異なるメディア、異なる感覚の結合を通じて物事を変換し、この変換によって生まれる違いに目を向けるという手続きである。
生活と表現のあいだに
野村の70年代の聴覚映像を当時、積極的に論じた評論家のひとりは峯村敏明である。彼は、たとえば、野村がテレビアンテナを購入するさいの会話などをレコードにした《D. X. Antenna》(1972)を、それまでの活動の重要な到達点とみなした•6。そして生活と表現との関わりという視点からこの作品を論じた。
峯村がいくつかの文章のなかで展開した議論をまとめよう•7。生活と芸術の関係は、60年代の美術における重要なテーマであり、美術家は両者の境界を取りさろうと試みた。このころは生活という言葉が、芸術の外部の現実すべてのことを意味した。これに対して、野村の70年代の作品における生活とは内的なものであり、時間とともに変化する行為や知覚のありかたを意味する。峯村は、野村がこうした生活と表現の境界を取り払うのではなく、その差を維持したまま無限に縮めていこうとすると考えた。彼によれば、生活の移りかわりを時間のなかで記録でき、しかもテープより日常と距離があるレコードは、こうした試みにふさわしいメディアである。
千葉成夫は以上のような峯村の議論に疑問をもつ•8。彼はまず、野村がカセットレコーダーを手にテレビアンテナを購入する行為は芸術的な活動の一種であり、生活とは区別すべきだと考える。千葉は次に野村と柏原えつとむの次のやりとりを引用する。柏原は野村に対して、行為するだけではだめなのかと質問した。野村は「ええ、写真や映像にすると、全く別物になってしまうことが、面白いのです」と答えた•9。この答えを受けて千葉は、動かない物の記録ではなく、変化する行為や現象の記録は、記録されたもの自体とまったく変わってしまうと説明する。そして、彼は野村の作品が「表現がおのづと作品を形成し、作品が表現過程を実質として内包してゐる」それまでの美術のありかたとは根本的に異なり、野村はこの違いを意識していると論じる。
ここで注目したいのは峯村と千葉の議論の優劣ではなく、両者がともに生活と表現という二元論を前提することである。峯村はレコードに記録された会話を野村の生活とみなし、千葉は芸術的活動とみなす。峯村は野村が生活と表現を近づけると考え、千葉は野村が両者の距離を意識していると考える。本論考はこうした二元論に対して、生活と表現のあいだをさまざまな違いが介在していることに注目したい。現実の会話とレコードから聞こえる音のあいだには、少なくともテープを編集してレコードに変換する作業や、レコードを手にとり針を落とす行為などがふくまれる。後述するが、野村はレコードに針を落とす行為が聞くことにとって重要な意味をもつと考えていた。
先に野村の70年代の聴覚映像に、異なるメディア、異なる感覚の結合があると述べたのは、このような意味がある。こうした違いは生活と表現という二元論を撹乱し、豊かな多元論を示唆するのではないか。現実の物事が耳と目と手、テープ、レコード、または電話、ヴィデオ、台本などのあいだで受けわたされて「全く別物になって」いく。70年代の聴覚映像にはこの面白さが満ちている。
電話からテープへ、テープからレコードへ
《公衆電話を使ってその位置から磁石の指し示す方角に見える全てをそのまま075-761-4113へ報告する。その報告は075-761-4113の受話器を通して録音される。》(1970、以下《公衆電話》)は、野村がはじめて発表した音と関わる作品である•10。このタイトルもインストラクションだ。彼は学芸員が美術館で録った音をエンドレステープにし、彼自身が公衆電話から撮った写真とともに展示した。野村の聴覚映像は最初から複数の音響メディアが関わっていた。
《公衆電話》の後に、当時放送局に勤務していた野村は取材用によく使われた小型カセットレコーダーの新製品、ソニーTC-1000Bを購入した。また放送局にあったレコードカッティングマシーンと出会い、自分で録った音を次々とレコードにしはじめた。峯村に注目された《D. X. Antenna》には、会話だけでなく街頭に流れる音楽も収録されている。《Drain Pipe》(1972)は野村が電器店で洗濯機の排水ホースを購入しようとする会話からなる。竿竹屋の声もここに入っている。《梵鐘》は野村があつめた寺社の鐘の音をいくつも収めたレコードである。
野村は後に、レコード作品はテープのままで展示してはいけなかったのかという質問にこう答えた。
この言葉には彼が各種の音響メディアの違いに意識的だったことがあらわれている。野村が使用したカッティングマシーンは通常とは異なり内側から溝を切る方式だった。彼はレコードを展示するさい、鑑賞者に内側から針を落とすよう図示した。この図は鑑賞者の注意をメディアそのものにも向けただろう。
《音調、強度、時間》は上記のレコード作品の後に発表された。先に述べたとおり、この作品は各種の音響メディアの違いが発想の源になった。野村は糸を音響メディアに、レコードプレーヤーを楽器に近づける。同年に発表されたレコード作品《Disc》の盤面には、頭頂部に指を当てる写真が全面に貼られている。この作品には《骨を伝わる音》という別タイトルがある•12。野村はあるとき、声の聞こえかたが自分と他人では異なるのは、声が頭蓋骨を伝わるからという話を知った。そこで、彼は頭蓋骨だけの音を聞いてみたいと思い、指で頭をかいてみたという。《Disc》には溝がなく、針を落とすと、針が回転する頭部の写真をひっかいて音をたてる。野村はこの音を、指で頭をかく音に見立てる。《音調、強度、時間》と《Disc》はともに聞くことと、手で振動をおこすこと、振動を感じることを結びつけている。
次に発表されたのは《公衆電話》をレコードにした《Telephone Eyeshot》(1974)だった。さらに、このレコードや《D. X. Antenna》、《Drain Pipe》をふくむレコード作品集《6 Discs》(1974)が発表された。このなかの《Bank/Disk Cuting》は、野村がレコードをつくるために送金するときや、レコードをカッティングするときの会話を録音している。マーサ・バスカークはこれをロバート・モリスの《作られたときの音がする箱》(1961)と比較する•13。どちらもそれ自体がつくられる過程を音により伝える作品である。しかし、モリスの作品が閉じた回路であるのに対して、野村のレコードは自己言及的であると同時に断片的で、制作の過程に多数の異なる状況が関わることをあらわすとバスカークは指摘する。
《6 Discs》に収められたレコード作品全体を見れば、自己言及的であることよりも断片的であることのほうが重要であることは明らかだ。レコードを制作するにはテープの記録をレコードに変換する必要がある。《6 Discs》に収められたレコードはどれも何らかのかたちで異なるメディアの結びつきが見てとれる。《Big Beat》はタイトルと同名のジャズ喫茶に向かう道中の音と、店内にかかる音楽を収録している。この作品はレコードが再生する音楽のレコードである。《Drain Pipe/D. X. Antenna》は電器店を舞台とする。《D. X. Antenna》にはテレビが登場し、《Drain Pipe》は強いて言えば、声を吹きこむ管という原始的な音響メディアを想起させる。こうして見てくると、ビニール袋とガムテープを購入する会話を収録した《Vinyl/Packing Tape》は説明するまでもない。付言すれば、梵鐘も音で情報を伝えるメディアであろう。
手に持って聞くこと
野村の聴覚映像は《6 Discs》以降、さらに違いの提示と特異な変換作業を続けていく。ヴィデオ作品《Phono Simulation》(1974)は回転するレコードをテレビモニターに映す。パリ青年ビエンナーレで発表された《発声》(1974-75)は、言語ごとに擬音語が異なることに想を得て、擬音語擬態語辞典をあいうえお順に読んでいく声などを収録している。一緒に出品された《HEARING》(1974-75)は《6 Discs》を中心にこれまでのレコード作品に収められた会話を文字起こしして、台本のかたちにした作品である。野村によれば、タイトルはこの言葉が日本で「聞きとり」という意味をもつことにちなむ。
ニューヨークを経由してパリから帰国した野村は、個展「「HEARING」についての特別資料室」(1976)を開催した。彼によれば、この展覧会のきっかけのひとつは前年にパリを訪れたときに出会ったミケランジェロのデッサンだった•14。ルーブル付属資料館にあるこのデッサンは、許可があれば手にとって見ることができる。彼はデッサンを手にして「普通に見ることと、手に持って見ることはまったく違う体験であると実感し」たという。そこで、画廊にレコード、カセット、台本など、さまざまな資料を展示し、鑑賞者がそれらを手にとることで同じような経験ができるようにした。野村のこうした発想は、見るという行為がふくむさまざまなふるまいの違いをみとめる感受性に根ざしたものだ。この感受性はそれまでの、違いを生みだす実践のなかで育まれたと考えられる。例えば、《音調、強度、時間》はいわば鑑賞者が手に持って聞く作品である。
「HEARING」シリーズにはレコードとそのジャケットのあいだの視聴覚の対比もある。レコードが再生する音楽のレコードである《Big Beat》のジャケットには、ある光景をポラロイドカメラで撮影し、できた写真をその光景のなかに置き、再度撮影するという手続きをくり返した写真が使われた。《Bank/Disk Cutting》のジャケットは頭髪のつむじやオウムガイの殻、指紋など、渦をまくものの写真である。《Drain Pipe/D. X. Antenna》のジャケットには、野村が水中で息をはく姿を撮影したヴィデオ作品《水のなかでのBreathing》(1972)の写真が貼られた。このジャケットは先に述べた《Drain Pipe》と音響メディアの関係を示唆しているのかもしれない。
「「HEARING」についての特別資料室」には「HEARING」シリーズの台本を収録した「予約本」がつくられる過程をあらわすチャートも展示された。カセットがレコードに、写真がジャケットになり、レコードをもとにノートがとられ、原稿になり、台本になる—チャートにはこうした過程が樹形図状に示されている。なお、予約本には制作メモや領収書、見本などの雑多な記録も載っている。鑑賞者はチャートによって「HEARING」シリーズがいかに各種メディアのあいだの変換を通じてつくられたのかを一望することができる。カセットに記録された現実の音は、このチャートに示された過程のなかで何度も別物になる。
1970年代における聴覚映像と音響メディア文化
建畠晢は81年に野村の諸作品を次のように評した。
この文章は、これまで論じてきた野村の70年代の聴覚映像がおこなっていた操作をあらわすものとして読むことができる。実際の会話がカセットに録音され、レコードとなり、台本となり、本となり──次々と別の枠組みに移されて奇妙なかたちをとる。「客観性の逆説としての虚構」の魅力。ただし、建畠も峯村や千葉のように日常と虚構という二元論を議論の軸とする。しかし、野村の聴覚映像を詳細にたどると見えてくるのは豊かな多元論である。
《公衆電話》においては電話の会話を記録するためにオープンリールデッキが必要だった。《D. X. Antenna》以降の聴覚映像シリーズは、異なるメディアを結びつけることがますます重要さを増していった。この展開において、野村が自らテープをレコードにしていった経験は大きな意味をもったのではないか。
彼は「「HEARING」についての特別資料室」について、レコードを聞くという経験自体が鑑賞者に耳と手の結びつきを意識させるものだと語った•16。簡単に傷ついてしまうレコードを慎重にジャケットから出し、震える指で針を落とす作業は、野村自身も長年おこなってきたものだった•17。ここでも音響メディアをあつかう彼の経験が作品の形成に関わったと考えられる。
70年代の音響メディア文化の他の面も、野村の聴覚映像のありかたに影響をもたらしたかもしれない。当時はテープがまだ高価で、消費者だけでなく放送局もテープを上書きして使用した。先に引用したとおり、野村はレコード作品を制作した理由を、レコードは上書きできないからと説明するが、その背景には当時のこうした事情が関わっていたと考えられる。また、消費者のテープの主な用途はラジオ番組の録音、いわゆる「エアチェック」であり、異なる音響メディアのあいだの変換だった。
「HEARING」シリーズにじっくり耳をかたむければ、現実の会話、テープに録られた会話、レコードになった会話、台本になった会話が、別物になっていく面白さに気づくだろう。ジャケットを横目に見ながらレコードに針を落とすといった、耳と目と手が結びつく経験も聴覚映像の魅力である。こうした鑑賞のしかたの手がかりは、例えば、会話の内容やジャケットの写真、チャートなどにある。そして《音調、強度、時間》や《Disc》はおそらく「HEARING」シリーズより端的に、野村の70年代の聴覚映像に通底する手続きを明らかにしている。