記憶するために跳ぶ──髙見澤文雄《柵を越えた羊の数》
金子智太郎
1. 睡眠時にベッドの中で、口元にマイクロホンを設置しテープレコーダーを録音状態に作動させたまま、声を出して1から意識のある限り、数を数え続け録音する。
2. 録音されたテープを再生し、自身で聞きながら、数の記録と同時に、1を0として1から始まる期間を数ごとに何分何秒単位で記録する•1。
山本育夫は98年に、髙見澤にとって《柵を越えた羊の数》は最初の転換点だったと書いた•2。寺山修司がこの作品に感銘を受けて、論文「偶然性のエクリチュール」のなかで大きく取りあげた•4。この文章における記憶をめぐる記述に、髙見澤は触発された。彼は「それまで漠然と考えていた『記憶』についてのこだわりに、まっすぐ光を当てられた気がした」•5。記憶は以降、彼の作品にとって自他ともにみとめる最重要モチーフになった。ただし、寺山の文章から受けた影響がすぐに髙見澤の作品にあらわれたわけではない。70年代半ばまでの髙見澤は絵画、立体、版画、写真、ヴィデオ、テープレコーダーなど、同世代の美術家がよく用いたあらゆる手法を取りいれて表現を探求した。70年代の終わりごろに、彼のトレードマークとなっていく、指の痕跡で覆われた立体作品が発表されるようになり、記憶という言葉がタイトルにあらわれた。記憶について語りはじめたのは80年代以降である。
本論考は、髙見澤が論じてきた記憶のありかたとの関係という視点から《柵を越えた羊の数》について考察する。ただし、彼の記憶観の源がこの作品だと主張するわけではないし、この作品が転換点だと強調したいわけでもない。ここで検討したいのは、《柵を越えた羊の数》の発表からしばらくたってかたちをとりはじめた、髙見澤にとっての記憶のありかたが、さかのぼってこの作品の理解を深める手がかりになるのではないかということだけである。まず、髙見澤の70年代の作品を概観し、次に寺山による先の論文に目を向け、それから髙見澤が語った記憶のありかたをまとめよう。最後に以上をふまえて《柵を越えた羊の数》と記憶の関係について考えたい。
もうひとつ但し書きをくわえておく。本江による次の文章は示唆に富んでいる。
本江が髙見澤の作品について語ったこの文章は、髙見澤の言葉にも当てはまるだろう。本論文は便宜的に「髙見澤は記憶のありかたをこうとらえている」という書きかたをする。しかし、それがすべてではなく、本江が述べているように、記憶という理解しがたいものと向きあうひとつの試みにすぎない。同じように記憶との関わりという視点は、《柵を越えた羊の数》という陰影に富んだ作品と向きあうひとつの試みであり、たくさんありうる視点のひとつでしかない。
繰り返すこと、重ねること
髙見澤は91年に、自分の作品は素材を変えても「繰り返し」と「重ねること」という構造が一貫していると語った•7。70年代にはこの2つの構造がさまざまな手法を用いて展開された。大別すると、直接的に物質を積み重ねる作品と、メディアを介して間接的に表象を重ねる作品がある。最初期の、長い紙にモノトーンのシルクスクリーンを少し端が重なるように何度も印刷する《平面を99重ねる》(1971)や、四角い木枠のなかに砂と綿布を層状に150cm重ね、最後に木枠をはずす《砂を重ねる》(1971)は前者の典型である•8。《共時体》(1973)において彼は、床に敷いた印画紙の上にアイロンを置いて印画紙を焼くところからはじめ、この現象を写真に撮影し、撮影する作家のすがたを撮影し、すべてを画廊内で現像する。「〈実務〉と〈実施〉・12人展」(1973)に出品した《ペインティング・ペインティング》は、床に敷いた大きな紙に抽象絵画を描くようすを3台のヴィデオカメラで撮影する•9。これらの作品を経て発表された《柵を越えた羊の数》もメディアを介して声を重ねる作品である。
《柵を越えた羊の数》以降の作品はドローイングをよく用いるようになる。《プリンティング・アンド・ドローイング》(1976)は一見、5000枚の白紙の束である•10。しかし、どれもシルクスクリーンで白い面が印刷されており、その上に線が描かれている。これは印刷が乾かないうちに手でつけた線であり、紙を並べるとつながっている。このようなドローイングを取りいれた反復と積層は70年代後半から顕著になり、80年代以降の作品へと結びついていく。ただし、こうした手法は71年の個展において、並べられた木材にドローイングをするというかたちで、すでに用いられていた•11。
「繰り返し」と「重ねること」という構造自体は、当時の東京の若手作家に広く共有されていた。峯村敏明は73年に「もの派以後」の作家が共有するモラルを「繰り返し」と「システム」と表現した•12。髙見澤自身も過去をふりかえり、同世代の作家が「つくるということはどういうことなのか、というその意味とシステムみたいなことへの関心」を共有して、「あえてつくらない」作品を制作したと語った•13。メディアを用いた作品については、天野一夫のヴィデオ・アート論から言葉を借りれば「言葉や、視覚、聴覚等の五感を通して形づくられる認識、そしてイメージの、さらには表現というものの洗い直し」という意義があった•14。そして、記憶もこの洗い直しの対象だったはずだ。こうした活動を続けるなかで髙見澤は寺山の評論と出会った。
個人の桎梏としての記憶
寺山の「偶然性のエクリチュール」は《柵を越えた羊の数》からはじめて、同時代の日本のさまざまな芸術ジャンルのなかに共通する傾向をあげていくという論文である。たとえば、美術では河口龍夫、柏原えつとむ、松澤宥ら、音楽では藤原和通、小杉武久らに言及する。寺山は各動向の違いを見極めていくような議論はしていない。彼がいくつもの作品に見いだしたのは、個人の記憶のなかに閉じこもらず、「私」の外側に無意識や偶然性の世界、正確に言えば意識と無意識という二元論のない世界が広がっていることを表現するという傾向である。「一体、記憶は個人にとって桎梏なのであろうか?」•15
こうした議論は当然この時期の寺山自身の実践に応じていた。北野圭介は70年代前半から70年代半ばにかけて寺山の思考におきた変化を次のように説明した。
後者の課題は「偶然性のエクリチュール」の主張そのものである。北野はまたこの思考の変化がテクノロジーに対する注目と平行しているとも指摘する。「様々なテクノロジーを駆使することによって肉体の複製を実現すること、そこから自と他という二分法を無化していくこと」•17。寺山は当時のメディア論のなかで、個人どうしを結びつけるのではなく「私」という枠を問い直し、利用者を無意識の世界に接続するというメディアの役割を強調した•18。
《柵を越えた羊の数》はこうした寺山の思考の変化に応じる作品だった。彼はこの作品を「個の記憶の修正としての『複製行為』」と評した。また、記憶からの解放をめぐるボルヘスの言葉を参照した•19。先に述べたとおり、髙見澤の70年代前半の作品には感覚や記憶の再検討という異議があった。寺山の記憶論はこの時期の彼に、表現を個人の記憶から解放するようにうながしたのではないか。
変化の過程としての記憶
髙見澤は70年代末から作品と記憶の結びつきをタイトルにあらわすようになり、80、90年代には自身の記憶観を語った。寺山が「偶然性のエクリチュール」のなかで記憶からの解放と無意識や偶然性の領域を語ったにもかかわらず、彼は記憶という深遠な問題にとどまった。その記憶観を彼自身の言葉からたどってみよう•20。
本来「記憶」と「忘却」は表裏一体であり、われわれは日々、いや瞬間々々さえもたえず、「記憶」↔「忘却」を寄せる波返す波のごとく繰り返しているのである•22。
私にとって記憶とは単なる過去ではなく、これから出会うことも含めて言っている。今後の新しいことも、ある大きな記憶の一端にすぎないのではないか•23。
髙見澤にとって記憶とは個人の過去のことではなく、波のイメージとともに語られる生成と消滅の繰り返しのことである。この繰り返しは個人の現在をこえて広がるものととらえられている。当時の彼の作品は柔らかい素材を10本の指で何度も「掻く」ことで生まれた。この「描き加える行為と描き消す行為が同時に行われる」手法は、彼がずっと続けてきた「重ねること」の延長である•24。「重ねることって、できたものが消え、消えていくものとできてくるものが混じり合うんですね」•25。
寺山の文章からうけた触発をきっかけに、髙見澤は以上のような記憶観にたどりついた。一言であらわすなら、彼はたえざる変化の過程を記憶とみなしている。このような記憶観にてらして、あらためて《柵を越えた羊の数》と記憶の関係について考えよう。
日々のリズム
《柵を越えた羊の数》における「繰り返し」と「重ねること」は複雑に絡まりあっている。まず、数をかぞえることがひとつの繰り返しである。カウントが積み重なるほど、髙見澤は眠りに近づく。後日カウントの記録をとることもひとつの繰り返しである。彼は一連の作業を何日も繰り返し、最後に展示会場において25日分の録音を重ねた。再生された声は空間のなかで混じりあう。スピーカーが発する声以外のノイズは重なりあうことで強くなり、声を包みこむ。
ひとつのカセットを聞くと、カウントのリズムはおおよそ一定であることがわかる。1974年3月8日の記録を見てみよう。カウントは最初はむらがあるが、すぐに4秒から6秒に1回というリズムに安定する。たまに間隔が飛んで、倍の10秒ほどになるときもある。5分を越えるとカウントの間隔がやや伸びる。20分を過ぎると数えまちがいも起きるが、リズムはあまり変わらない。このリズムは呼吸のリズムである。息を吐くときに数をかぞえるため、朦朧としていても一定のリズムが保たれる。カウントが終わると寝息が続く。
《柵を越えた羊の数》は記録された反復の背後に、呼吸のリズム(吸う↔吐く)と睡眠のリズム(起きる↔眠る)という、波打つ2つのリズムを見せる。これらのリズムはある程度は一定だが、ときおり乱れることがあり、この乱れが記録から伺える。過呼吸や不眠症といった乱れを避け、呼吸と睡眠のリズムを整えることは日々の重要な営みである。2つのリズミカルな反復は髙見澤が後に語った記憶のありかたを思わせる。
この作品以後、髙見澤の作品においてドローイングが存在感を増した。彼はドローイングを呼吸や睡眠のようなリズミカルに反復する営みとしてとらえたのではないか•26。ドローイングの痕跡は音のように空間のなかで混じりあい、強めあったり、打ち消しあったりする。この実践を通じて、彼のなかで「繰り返し」と「重ねること」がはっきりと記憶に結びついた。
髙見澤はこうも書いていた。「ぼくは『記憶』をテーマに描くわけでなく、『重ねること』を繰り返し見せるための作品を作るわけでもない」•27。この言葉を次のように受けとってみたい。彼にとって、記憶は表現活動をつらぬいて広がる巨大な背景であり、個々の作品はその無数にある相のひとつである。そして《柵を越えた羊の数》が記憶と関わるとすれば、記憶のさまざまな相のなかでも、記憶と忘却の境界を何度も越えるという営みに関わるだろう。この営みはタイトルにおいて跳躍として表現されている。