「記憶」・「柵を越えた羊の数」・「偶然性のエクリチュール」と「ヘラクレイトスの河」•1
高見沢文雄
’78年ボルヘスはベオグラード大学で五回に渡る講演を行った。(ボルヘス、オラル/木村栄一訳/風の薔薇社)そのうちの「不死性」と題した講演のなかでその「不死性」について以下の様にのべている。『われわれが、ダンテ、あるいはシェイクスピアの詩を読み返したとする。その時、われわれはその詩を書いた瞬間のシェイクスピア、あるいはダンテになるのである。ひと言でいえば、不死性というのは、他人の記憶のなか、あるいはわれわれの残した作品のなかに残存しつづけるのである。……言語活動というのは創造的行為であり、一種の不死性になるものである。わたしはスペイン語を使っているが、そのわたしのうちには無数のスペイン語を用いた人々が生きている。』と。
ボルヘスは「時間」と題する講演で実に興味深い事をのべている。ボルヘスは、ヘラクレイトスの『人は二度同じ河に降りゆかない』を引用しつつ、人が二度同じ河に降りゆかないのは、『ひとつは河の水がたえまなく流れてゆくからであり、もうひとつはわれわれ自身もまた河のように変化していく存在だからである。…時間の問題というのは結局逃れ去ってゆくものとはなにかという問題に帰着する。わたしの現在—もしくはわたしの現在であったもの—は、すでに過去になっている。止めようもなく過ぎ去ってゆく時はしかし、永遠にすぎゆくものではない。……いずれにしても、記憶は残っているだろう。記憶というのはどこまでも個人的なものであり、われわれの存在の大部分はそうした記憶によって作りあげられている。
そして記憶の大部分は忘却によってつくりあげられているのである。
ここでわれわれは時間の問題と向きあうことになる。』と。そしてボルヘスは再度ヘラクレイトスにふれて繰り返す。『ヘラクレイトスは河面に映る自分の姿を見つめながら、河の水は流れ去ってゆくのだからこの河はもとの河と同じではない、自分もまた以前にこの河を見てからこれまでの間にさまざまな人間に変わってきたのだから、もはや昔のヘラクレイトスではないと考えている。このヘラクレイトスこそ、われわれ自身にほかならない。われわれは移ろいゆくものと不変のものとでできあがっている。つまり、われわれは本質的に神秘的な存在なのである。記憶というものがなければ、われわれはどうなっていただろうか? 記憶はその大部分が騒々しい雑音で満たされているが、それでもかなり本質的なものである。』と。—そしてボルヘスは『時間』の講演を次の様にしめくくる。—『時間の問題とは、われわれ自身に深くかかわっている問題なのである。わたしとはなにものなのか? われわれの一人ひとりはなにものなのか? それが明らかになる時がいつかくるだろう。いや、ひょっとすると来ないかもしれない。しかしその間も、聖アウグスティヌスが言ったように、わたしの魂はそれを知りたいと思って熱く燃えているのである。』と。
ぼくは「絵画」が「芸術」が進化してあるものとは思わない。百年前の「絵画」がよりすぐれてあるものでもないし、その本質がより明確化されてあるものでもない。しかしいつの時代でも常に、「絵画」はその新しさを問われたり、それによって評価の対象になる。この事は一見形容矛盾とも見えるが、人はすでにその作品をその時代背景と共に見るのである。現在は現在の必然性として。この事も又「記憶」である。「記憶」に関する言説は様々にあろう。この何年かの潮流としても、それこそ一人の人間にとって「記憶」し切れない程に様々の人々によって語られ書かれもしていると思う。ぼくがタイトルに「記憶」という言葉を用いだしたのは5年前からのことであるが、「記憶」という設問として意識し始めたのはずっと以前のことであり、そこにははっきりした契機があった。「柵を越えた羊の数」(’73~’74制作)と題して’74年の東京ビエンナーレに出品した作品を、たまたま観た寺山修司氏が’74年12月号の現代詩手帖の〈「表現の現在」1974年・展望〉で「偶然性のエクリチュール」と題した文章の中で取り上げて下さっている。またまた長くなるがそれを次に引用させていただく。(なぜ「記憶」の問題でボルヘスを先に引いたのかがここにある。)今ここに寺山修司氏の文章を引用することは、’78年にベオグラード大で行われ、’87年に日本でその講演集が出版された事によって初めて接する事が出来たボルヘス・オラルを読むことで、今ぼくなりにそれを「記憶」しているわけであり、そうした条件のもとに’74年のぼくの作品と、それに関る寺山氏の「記憶」とに、再度かかわるものとしてある。
『「眠れないとき、目をつむって羊を数える」とだんだん瞼が重くなってくるのは、なぜだろうか?
それは、子供時代の私にとって大きな謎であった。
数えられるべき羊の色は黒か、白か。
数えられるべき羊の重量及び身長はどれ位なのか。それは、牡か牝か。イメージすることのできぬ動物(実際、子供の時代の私は、羊など見たことがなかった)を数えるということの不可能性が、私を日常という名の覚醒から、少しずつ遠ざけて行った、数百、数千という羊たちは、少なくとも私の言説の秩序の中に存在しているものではなかった。私は、目をつむって、こうした言説の反対側に踏みこむ期待に胸躍らせながら、同時に、「羊たちに放牧されている」もう一つべつの秩序へ向って醒めてゆこうとしているのかも知れなかった。いったい何匹目まで数えたとき、私は一つの現実(意識)と、もう一つの現実(眠り)とのあいだの境界を越えることができるのだろうか?
その越境の瞬間を記述する手は、どっちの側からさしのべられるのだろうか?
第11回東京ビエンナーレの会場に展示された三十台のカセットテープレコーダーによる高見沢文雄の作品は、こうした「意識」と「無意識」の越境を記録しようという試みであり、シュール・レアリズムの手法(自動手記)の世界に、カセットテープレコーダーという記録機械を持ちこむことで、新しい「複製芸術」の可能性に挑んだものであった。
何しろ、会場に入ると、半ば醒め半ば眠っている一人の男の羊を数える声が、三十台のカセットから、同時に流れ出しているのである。それぞれのカセットには日付が記されており、あるものは早く数え終り(眠りに落ち)、あるものは二百匹をこえても、まだ意識の此岸を同じ速度で逍遥しているのであった。私は、この高見沢の作品に、「表現の現在」の一つの典型を見る思いがした。
毎夜、カセットのスイッチを入れ、目をつむって羊を数えている一人の男の、声がしだいに「一つの秩序から脱け出して」「また一つの秩序に組みこまれてゆく」ことを記録することへの関心の底には、従来の個人の意識(自己肯定)を軸とした表現の不可能性へのアレゴリーが感ぜられる。
それは、いわば個の記憶の修正としての「複製行為」といったことである。
現代人の大半は、経験を保持し、これを再生する過程が、個人の記憶のみによってなされている、といったことへの疑いをもちはじめるようになっていった。ボルヘスの小説の主人公ではないが、「人間は記憶から解放されぬ限り、真に解放されたとは言えない」のである。この場合の記憶は細分化された歴史の個人負担分ということでもなければ、プラトンのいわゆる保持(ムネーヌ)と、想起(アナムネシス)といった二元論だけで片ずけられる思念の領域の出来事でもない。より始原的な「個人」の生成要素への疑いといったことである。
…一体、記憶は個人にとって桎梏なのであろうか?
という素朴な問いが、表現の現在を語る上で、もう一度問い直さなければならないかも知れない。…一人の人間の内部と外部という発想は、一つの必然性へ向う志向を内在化するが、人間は相も変らず「血のつまったただの袋」(カフカ)として、投げ出されてる偶然的な存在であり、その偶然性を想像力のなかで組織し直すことによってのみ、表現の可能性が生まれてくるのだと思われるからである。…意識と無意識、個人と集団、自と他、内部と外部といった二元論にとって人間の概念を規定し、その上に立ってなされてきた従来の表現行為に対し、もう一つの人間観を提示して、「私」への疑いから出発し直したものだけが、現代を表現しうるのではないか、という考えが私の頭を去らないからである。
記憶したものを再生し、その痕跡の変容の中に「私」のアリバイを求めるのではなく、実際に起らなかったことまで記憶し、あるいは記憶しなかったものまで再生し、個の記憶を合成し、編集し、その統合された結果として「私」をとらえ直す。
「私」というのは、原因でも動機でもなく、一つの「結果」なのだという思いこみと、レオン・トロッキーの
「お前は、ただの現在にすぎない」という歴史認識の裂け目からのみ、表現の現在は問われなければならぬのではないか。』
ここかで臆面もなく、ボルヘスと寺山修司の両巨匠の文章を長々と引用してきて、もはや今ぼくの拙い言説を述べる気はない。いまぼくはただ絵かきとして専せんとするだけだ。いま正に寺山のその不死性としての存在をしかと再確認したばかりなのだから。最後にもう一度ボルヘスの「不死性」の続きとエピローグを。
『われわれがたえず世界の未来のため、われわれの不死性のために力を尽してゆきさえすれば、過去の名前などもはやどうでもいい。その時の不死性は個人的なものではない』
『最後にひと言つけ加えておくと、わたしは不死性を信じている。むろん個人のそれではなく、宇宙のそれであることは言うまでもない。われわれはこれからも不死でありつづけるだろう。肉体の死を迎えた後もわれわれの記憶は残り、われわれの記憶を越えてわれわれの行為、行動、態度といった歴史のもっとも輝かしい部分は残ることだろう。われわれはそれを知ることができないが、おそらくはそのほうがいいのだ。』