リーフレット 2-1


45年後の再制作──再び生み出されるもの

稲憲一郎

「日本美術サウンドアーカイヴ──稲憲一郎《record》1973年」リーフレット、2018年、1-2頁。



《record》この作品は1973年「〈実務〉と〈実施〉・12人展」のために制作したおよそ45年前の作品である。今回その作品を再制作する事となった。

ここ数年私が制作を始めた1968年から1970年代の初め頃について話しをしたり思い起こすことが何度かあった。

半世紀近くも前の事柄を記録と記憶を辿って当時の事を思い起こすのはなかなか難しい事でもあった。なるべく正確を期すために当時の記録を辿り時間軸を直線的に組み立て、そこに私の記憶を当てはめていく。しかしこの作業が簡単に見えてなかなかの難題でもあった。なぜなら記録は全てを記録としてとどめていない。時間軸だけを考えてもそれが何年の事なのか記載はあるが月日、時まではなかったり、あるいはどの様な物があったかまでの記載が無かったりする。もちろんそれらが正確に記載されていたとしてもそれが記録された事柄の在りようやその全てを示してはくれない。

記録することは記録されない部分を私達に示すことなのかもしれない。いや記録されない部分が全体であり、記録はその一部に過ぎないともいえる。

もう一つ当時を思い起こす手がかりになるのが記憶である。ある出来事の記憶は様々な事や物に付随して私の中に刻まれている。それは私の中で特に印象的で鮮明に記憶されているもの。ぼんやりとした記憶ではあるが記録に当たったり、写真を見たり、あるいは共に半世紀近い年月を経て会う友人との会話の中で徐々にではあるがかたちをむすぶ記憶。ついにははっきりとはかたちにならないままの、なにやらぼんやりとした固まりのままの記憶。

そして記憶は時系列を無視してそれぞれが結びつき、思いもしない物語を作ってしまう。

私はまるでジグソーパズルに使うピースのような記録と記憶を手にして過去の出来事という一枚の絵を組み立てようとしている。

それではすぐにこれらのピースを組み立てられるかというと、それぞれの記録や記憶のピースは微妙に肥大したり変形したり自在にその形を変え何処にでも当てはまってしまう。

こうして出来上がるのは一枚の絵ではなく僅かではあるが、かたちの違う何とおりもの絵が現れる。
私達が過去の出来事と出会うというのは、この様な事なのかもしれない。

《record》を再制作するに当たって、記録や当時制作した他の作品(1972年から1975年頃までの間に制作したカセットテープレコーダーによる音の記録)を参照しながら記憶を辿って制作する事になった。

何故カセットテープによる音の記録なのか?

1972年当時カセットテープレコーダーは簡便で安価な録音機材として一般に普及し始めていた。作品を作るときいつでも作家の内的な要因によって表現の媒体や対象を選ぶとは限らない。新しい録音機材が持ち運びに簡便であることや安価であることは私には魅力的であった。69年頃から70年代に掛けて写真を媒体にした記録という方法をとっていたので、カセットテープレコーダーを使っての音の記録はそれまでとは違った意味を作品にもたらしてくれると感じた。その一つは時間の問題である。写真はそれ自体時間のメタファーでもあるが、録音はまさに時間そのものであった。その逆に写真は眼の前にある事物を記号として私達の前に再現してくれるが、録音はそれらを聞く人の想像力の世界にゆだねる。

同じ記録という方法ではあるが、録音と写真というメディアの違いは始めに私が思い描いたものとは違っていた。

記録されたものが私達に示すもの、そこから思い起こすこと。記録が指し示す以外の事柄、そこから振り返る記録されたことなど。

そしてもう一つにはカセットテープレコーダーを使うこと自体が、それが使われた時代という背景を反映し作品に同時代性をもたらしてくれたのだろう。

作品《record》は当時住んでいた東京東久留米市の自宅の前の早朝の環境音を採録したもの—そこには遠くに聞こえる電車の通過音、踏切の警報音、鳥の鳴き声、新聞配達のバイクの音など—を画廊で再生しその音を再び録音する。さらに録音されたものを再生し録音するという作業を会期中繰り返したものである。方法としては大変シンプルな構造である。

そこでは既に採録された時間、画廊空間での時間、それらが重なり再び採録される時間といった異なる時間が重複していく。

当初私はこれらの作業を透明なフィルムに鉛筆のドローイングを描き、それを重ねるようなイメージで思い描いていた。録音では二・三度重ねた限りでは確かに最初に採録されたものと次に重ねたものは部分的には聞き取ることができた。しかし最終的には全ては混ざり合って音のうねりのようになっていた。

視覚的なメディアと聴覚的なメディアの違いがもたらした思わぬ現れは興味深いものであった。

1972年《walking》と《歩行》いう作品がある。《walking》はカセットレコーダーを使って30分間の歩くという行為の記録を録音したもの。《歩行》は一定の距離を歩いてその間の幾つかの地点の光景を写真で記録したものである。ここでも聴覚による記録が限定するもの、視覚による記録が限定するもの、そして記録が指し示す以外のものの現れの違いは私の関心をひいた。

《record》の再制作では出来る限り当時のものを再現することを考えて制作を試みた。採録した音や、音を重ねていく現場(画廊空間)は当然当時のものとは違っているが、音を重ねていく方法は再現できる。カセットテープレコーダーも主催者の努力で当時ものに近いものを準備できた。そうした意味では再制作は可能であるが、私自身が当時の作品について思い描いたことがどの様なことであったかということとは異なっている。再制作のテストを試行しながら様々な事柄が思い起こすことが出来た。しかし45年前のことについての記憶は正確なものだとは言えないし、その間に経てきた様々な経験や学習をもつて制作当時の作品を語るのは違った作品を作り出すことのようにも思われる。

作品そのものについて語ることは出来ないだろう。言葉はいつも作品の周縁について語ることしかできない。

しかしその上で作品について語るとすれば、言葉はいつも後からやってくる。作品を作るときに、その初発で思い描いたことがそのまま最後まで同じかたちで継続し残されるという事はない。制作の中での一つ一つの作業が生み出す変化を眼が拾い上げ、読みとり意味を見いだすことの連鎖の中で作品は生成していく。

そうした過程の中で作品という眼前の事どもが私にとって意味の飽和点を見いだしたときにそれは作品となるのだろう。

作品が何であるかはそれが出来た後の「もの」にたいして作家が受け入れることによる。それは鑑賞者が作品という「もの・ごと」にある意味を見いだしそれを受容するのと同じ様に。

45年前の作品も当時の作品であると共に、再制作された作品と同じように現在の私が受容した新たな作品ともいえる。

2017年12月3日  稲憲一郎