リーフレット 1-2


波状の境界──堀浩哉《MEMORY-PRACTICE(Reading-Affair)》

金子智太郎

「日本美術サウンドアーカイヴ──堀浩哉《MEMORY-PRACTICE (Reading-Affair)》1977年」リーフレット、2018年、3-4頁。



堀浩哉の《MEMORY-PRACTICE(Reading-Affair)》(以下《Reading-Affair》)は、二人のパフォーマーと二台のオープンリールデッキからなる作品である。パフォーマーは舞台の椅子に座り、手前の机に一本のマイクロフォンが置かれる。その前の床にオープンリールデッキが左右に並ぶ。マイクロフォンがつながった観客側から見て左側のデッキの、左側のリールだけにテープがかけられている。このリールから伸びたテープは、磁気ヘッドを通り、隣のデッキに向かう。右側のデッキの磁気ヘッドを通り、その右側のリールに巻き取られる。左側のデッキの録音ボタン、右側のデッキの再生ボタンを同時に押すと、マイクロフォンが拾った音が左側のデッキで録音され、少し時間をおいて右側のデッキで再生される。

二人のパフォーマーは当日の新聞を手にし、交互に一文字ずつ音読していく。発音された声が少し時間をおいて再生される。この音を再びマイクロフォンが拾うために、パフォーマンスが進むほど声がいわば層をなしていく。また声が積み重なるだけでなく、オープンリールデッキが次第にハウリングを起こす。ハウリングは声に混ざりはじめ、次第に大きくなり、声を覆うほどになる。パフォーマンスがある程度まで進むと、声の堆積の厚みもハウリングの大きさも上限をむかえて、一定の状態が持続する。

《Reading-Affair》は堀の経歴のなかでも重要な転換点に演じられた作品である。パリのギャラリー・カドでこの作品を上演したのち、堀は1970年代を通じて展開したパフォーマンスをしばらく封印した。87年に富山国際現代美術展で同作品を再演したのを例外に、本格的にパフォーマンスを解禁したのは98年だった。このとき上演されたのも《Reading-Affair》である•1。ただし、システムは同じでもまったく別のテキストが読まれる新しいヴァージョンだった。《Reading-Affair》は大掛かりなセッティングや大勢のパフォーマーを必要としない。パリでの2回の上演も急遽準備されたものだった。90年代末に同作品を再演したときも、便宜的な理由が大きかったのかもしれない。とはいえ、この作品が堀のパフォーマンスの封印と解禁を飾った要因はそれだけだったのか。本論考はこの要因を彼の70年代のパフォーマンスの展開をたどることで推測する。

《Reading-Affair》は堀のパフォーマンスと絵画の間に位置している。だが、前もって述べておくと、同作品が両者を橋渡しするという役割を果たしたとは考えにくい。たしかに堀はパフォーマンスで獲得した方法を絵画にも適用したと述べたことがある•2。しかし、パフォーマンスと絵画の間に距離があることも、彼にとっては重要だろう。このことは千葉成夫と椹木野衣の批評でも指摘されているため、あとで彼らの議論を参照したい。そして、本論考ではあくまで、堀のパフォーマンスの展開を通じて《Reading-Affair》の意義を考える。

パフォーマンスと絵画

《Reading-Affair》へと向かう堀浩哉の70年代の関連作品を図表にまとめた[06頁]•3。彼は72年から77年にかけて、記録とその変形をテーマとするパフォーマンス・シリーズ《MEMORY-PRACTICE》を展開した。当時「パフォーマンス」という用語は一般的ではなく、これらの作品は「アクト」、「プラクティス」、「アフェア」と呼ばれていた。堀はこうした作品の背景として、60年代末の美術が概念芸術ともの派に分裂したことをあげる•4。彼には、両者がともに世界を観念もしくは物という純粋な要素に還元しようとしているように見えた。そして、両者の還元主義は世界を均質化しようとする西洋近代主義の末期症状なのではないか、と考えた。この還元主義に抵抗するために、堀はパフォーマンスという方法を選んだ。実際は「非均質」な現実と対峙するために、彼のパフォーマンスはいつも現実の要素を取りいれることから始まる。

堀の《MEMORY-PRACTICE》シリーズは、現実の文字、音、光景を、タイプライター、録音、ヴィデオといったメディアによって記録し、変形を加えていく。彼はこうした作業を「意味の解体」と表現した•5。この作業は、非均質な現実から比較的均質な意味すなわち観念を抜き出して、変形することで、限りなく物へと解体していく。《調書 Vol.2》では最初に、パフォーマーが自宅から画廊までの移動中に見かけた文字を音読して録音し、画廊で再生する。次に、画廊で再生された言葉をカードにして、ファイリングする。現実の場面では多様な意味をもっていた文字が、まず音読と録音によって音に還元される。さらに、この音はカードの集積に変わっていく。ただし、こうした作業を経ても意味が完全に失われることはないだろう。例えば、パフォーマーの選択による意味づけが混ざったり、カードをファイルに並べることで新たな意味が生まれたりすることがあるからだ。

おそらく《MEMORY-PRACTICE》にとって重要なのは、意味を完全に解体することではなく、観念と物が混ざりあう解体の非均質な過程そのものを見せることなのだろう。堀は自分が作品のなかで、パフォーマーでも最後の記録でもなく、両者の間の「システム」の位置にあることを強調した•6。また、パフォーマンスの最中に行為することと見聞きすることが等価であると感じ、この感覚を「主体のゆらぎ」と表現した•7。さらに、堀は87年に《Reading-Affair》を再演したときは、パフォーマンスのなかでの彼自身の位置を「境界線上」という言葉で語った•8。この言葉は、堀が72年に学生運動の経験をふりかえって書いた文章「とぎすまされた境界線」に由来する。彼はこのなかで、バリケードの内でも外でもなく、バリケードそのものである境界線の上に位置しなければならないと論じた。この姿勢が、観念と物の間、行為と見聞きすることのの間に位置しようとする堀のパフォーマンスの基盤にあるのだ。

千葉成夫はこのような堀のパフォーマンスのありかたと、彼の絵画とパフォーマンスの関係を重ねあわせる•9。千葉によれば、堀がパフォーマンスのなかで意味を解体したように、堀の経歴にとってパフォーマンスは絵画の解体であり、「絵画の周縁」に向かうための試みだった。そして、パフォーマンスを通じていったん周縁に至ったから、堀は80年代に独自の絵画を生みだすことができたと千葉は考える。椹木野衣は、千葉の議論をあまりにも絵画中心的と評しながら、パフォーマンスと絵画を異質なものとして関係づけるという彼の理解は引き継いでいる•10。椹木は「ドローイング」をめぐる堀の文章をふまえて、堀のパフォーマンスは彼の絵画にとっての「異物」であり、異物と向きあうことで堀は「飛躍→逸脱」を遂げるのだと論じる。

堀にとってパフォーマンスと絵画は異質なものとして関係づけられているという両者の指摘は、彼のパフォーマンスを考察するためにも重要だろう。パフォーマンスと絵画は異質であるからこそ、千葉が堀の絵画の展開を詳しくたどったように、パフォーマンスの展開を追い、いかなる道のりを経てきたかを検証することに意義がある•11。堀のパフォーマンスは、たんなる絵画への助走ではない。試行錯誤の末に生まれた《Reading-Affair》は、堀のパフォーマンスの一時的な到達点であると同時に一時的な終着点であり、だからこそ絵画へと向かう転換点になったのではないか。

《Reading-Affair》に向かう展開

峯村敏明は《ACT展 No.4》の展評において、「収縮と膨張」という独特な言葉を使ってこの作品を記述する•12。同作品は少なくとも4つの作業からなり、もっと細かく分けることもできる。峯村は特に本から文字を切りとる第4の作業に、パフォーマーの気まぐれが見てとれることに注目する。彼の言葉を使えば、この「枠づけられた気儘さ」は、意味を物に還元していく作業を「収縮」と呼ぶならば、反対に「膨張」と呼ぶことができる。なぜなら、この気まぐれな作業にはパフォーマーによる意味づけが新たに加わるからである。そして、峯村は《ACT展 No.4》に複数の収縮と膨張がみとめられると考える。そこで、彼はこの作品を、収縮と膨張のくり返しからなる「波動」と表現し、この収縮と膨張の「的確な布置」を評価する。

彼が《ACT展 No.4》の「的確な布置」を評価する理由のひとつは、同時代の多くの作品が収縮と膨張のどちらかに偏っているからである。だが、評価の理由はこれだけではないだろう。峯村はこの作品の波動を、堀の「〈行為〉に対する一つの思想の表明として感受することができる」と語った。おそらく、非均質な実践を通じて非均質な世界と向きあう堀の思想を、彼は評価していた。峯村の議論は、堀のパフォーマンスをたんなる一方向の解体ではなく、収縮と膨張の間の危ういバランスをとることとして理解する。このような理解は《Reading-Affair》に向かう堀のパフォーマンスの展開を検討するために不可欠なものではないか。彼のパフォーマンスの展開は、収縮と膨張のバランスをとっては、あえて崩し、再調整するという作業の反復に見えるからだ。

《ACT展 No.4》に続く《調書》シリーズは、峯村が評価した収縮と膨張の布置、いわば波動のバランスを意図的に前作と変えて、パフォーマーの不在を強調する。《ACT展 No.4》から複雑さや演劇性、「気儘さ」が削ぎ落とされて簡潔になり、意味を解体するシステムという印象が強くなった。しかし、それでもパフォーマーの気まぐれがなくなるわけではなく、残された記録からそれが垣間見えるところにもこのシリーズの魅力がある。《調書》シリーズは収縮と膨張の再調整により新たなバランス、新たな非均質さを獲得していった。

ところが、《調書》シリーズに入るはずだった作品《A Dayーprivate historyー》(以下《A Day》)では、このバランスのもろさが露呈してしまったのだろう•13。1本が1分をあらわす60本の罫線を引いた紙、1日分1440枚の上に、1日の行動を秒単位で記述していくこの作品は、激しい不快のために7時間分で頓挫した。堀はこのときの不快をのちに「時系列の同一性のゆらぎ」という、他のパフォーマンスを説明するときとほとんど同じ言葉で語った。おそらく、非均質な日常の行為を均質な言葉へと激しく還元していくこの作業には、激しい気まぐれの余地も生まれてしまう。あいまいな記憶をひとつに確定し、さらに分節化しなければならないからだ。したがって、収縮と膨張がともに暴走し、的確な波動が描けなくなったのではないか。非均質であろうとする堀のパフォーマンスは、こうした危機に陥る可能性があるのだ。

堀は《A Day》に続く《MEMORY-PRACTICE》で、《ACT展 No.4》のような複雑さを復活させ、「シナリオ」を導入した。彼はいったん後戻りすることで、先に陥った危機を回避しようとしたように見える。次に発表された《MEMORY-PRACTICE(Dancing-Affair)》(以下《DancingAffair》)では、それまで強調されてこなかった要素がいくつか前面にあらわれた。まず、カメラマンである堀とダンスをする堀えりぜの間に収縮と膨張の往還がある。互いに相手の行為を見て、行為を返すというやりとりを通じて、意味の解体と生産がくり返される。往還は《ACT展 No.4》や《MEMORY-PRACTICE》にもあったものの、前者の往還は膨張を強調せず、後者は間に多くの作業を含んだ。堀のパフォーマンスの展開にとって重要なこの往還が生まれた大きな要因は、堀えりぜとの「コラボレーション」だろう•14。《Dancing Affair》にはさらに、往還の副産物としてハウリング・ノイズが加わった。以前のパフォーマンスでは収縮、還元という役割を果たす傾向が強かった電子メディアが、ここでは膨張、非均質さの創出という働きを担うようになった。

ギャラリー・カドで上演された《Reading-Affair》では、こうした往還とハウリングがさらに強調された。2人のパフォーマーの往還運動にはリズミカルな流れがある。また、パフォーマンスの経過とともに相手の声が聞きとりづらくなるために、行為することと聞くことの関係が一定の緊張感を保ち続ける。さらに、ハウリング・ノイズがだんだん声に混じり、声を覆って、これまでにない存在感を発揮する。パフォーマー2人の往還、堆積していく声、ハウリングが次第にあらわれて声と入れ代わっていく流れ、これらが《Reading-Affair》にいくつもの波動を濃密に共存させていく。

《Reading-Affair》は堀にとって、パフォーマンスを通じて収縮と膨張の布置を調節し続けた末に生まれた、ひとつの到達点だったのではないか。《Dancing-Affair》から受け継がれた2人のパフォーマーによる往還運動は、境界線上で両手を広げてバランスをとるかのようだ。しかし、この優れたバランスは《A Day》に生じたものとは別種の危機にもなりえたのだろう。パフォーマンスの内部で収縮と膨張の理想的な波動が形成されても、距離をとって総体として見れば、安定して非均質さを欠いたパフォーマンスとして受けとられかねない。堀がパフォーマンスをいったん封印した要因のひとつに、こうした危機の予感があったのではないか。のちにパフォーマンスを解禁し、この作品のヴァリエーションを上演したとき、堀はパフォーマーの言葉に強い意味をもたせて、収縮と膨張のバランスを再調節しようとした。境界線上に留まるには動き続けなければならない。

堀は概念芸術ともの派の還元主義を西洋近代主義の末期症状と考えた。しかし、70年代以降、ポストモダン社会が次第にあらわれ、近代的な還元主義も変質していった。椹木野衣は『日本・現代・美術』所収の評論「バリケードのなかのポストモダン」で、この変質を「境界の遍在」と表現した•15。それまでにあった境界の内と外が相対化されて、境界は日常の至るところに存在するようになったために、かえって強固になったと彼は論じた。この評論は堀に言及しておらず、堀と椹木の緊張感のあるやりとりにつながったことは承知の上で指摘するが、堀がポストモダン社会の到来を感じながら展開したパフォーマンスにおける収縮と膨張の波動は、椹木が語った境界の遍在と深い関わりがあるはずだ•16。堀のパフォーマンスにおける観念と物の境界線は、波動として全体に散りばめられている。至るところにある境界線の上に、いかに留まるか。堀がパフォーマンスを通じてくり返したバランスの調整は、ポストモダン社会の日常のためのプラクティスではなかったか。


[註]
1|堀浩哉『滅びと再生の庭―美術家・堀浩哉の全思考』(以下『滅びと再生の庭』)現代企画室、2014年、346頁。『堀浩哉―風・空気・記憶』展覧会カタログ、町立久万美術館、2000年、57頁。
2|堀浩哉『滅びと再生の庭』501頁。
3|図表の作成のために下記の文献を参照した。堀浩哉『滅びと再生の庭』。『堀浩哉展―起源』展覧会カタログ、多摩美術大学、2014年。千葉成夫「報告・一九七六京都ビエンナーレ」『美術手帖』第407号、1976年5月、134-153頁。『堀浩哉展―風の眼』展覧会カタログ、高岡市美術館、1996年。『堀浩哉―風・空気・記憶』展覧会カタログ。『1974 戦後日本美術の転換点』展覧会カタログ、群馬県立近代美術館、2014年。なお、この図表には「《絵画への準備》」と呼ばれる70年代の作品群の一部は含まれない(堀『滅びと再生の庭』347頁)。図表の作成にあたり、堀浩哉氏にご協力いただいた。
4|堀『滅びと再生の庭』346-34、494頁。
5|同書、347頁。
6|同書、346頁。『堀浩哉展―起源』74頁。
7|堀『滅びと再生の庭』399頁。
8|同書、347頁。
9|千葉成夫『未生の日本美術史』晶文社、214-219頁、2006年。
10|椹木野衣「堀浩哉論―起源に線を引け、暴風が吹く」『堀浩哉展―起源』9-13頁。
11|千葉、前掲書、235-236頁。
12|峯村敏明「展評 東京」『美術手帖』第367号、1973年5月、267-270頁。
13|堀、前掲書、466-467頁。
14|掘、前掲書、638頁。
15|椹木野衣『日本・現代・美術』新潮社、1998年、118-122頁。
16|堀、前掲書、465-466頁。椹木「堀浩哉論――起源に線を引け、暴風が吹く」6-9頁。